お暇を頂いております。

たまに更新しますよ。

TOP | ALL ENTRY | RSS | FONT SIZE : S L Default | ADMIN

忌むべき生き物を死に追いやる「死に芸術」

始めにお断りとして…
これは、あくまで個人の意見というか、愚考するところです。
久しぶりに長なる。

10月の土曜を含めた連休中、TwitterのTLに
ある芸術祭の中の展示の一つについて、不安と不快感を抱いた方のツイートが
RTとして流れて来まして。
イベント事に疎い私は知らなかったのですが、
なんでも生きた飼い鳥を使ったアート展示があり、そこでの小鳥たちが
危険な状況で放されていると。
明らかに体調が悪く見える子(鳥と暮らす人なら一目でわかる)、
ヒトなら「不浄」と感じるところへ餌を設置、ばら蒔いてあり、
非常に心が傷むような展示など。
実際に見てきて、胸の潰れる思いと怒りを覚えた方のブログや、
件の芸術祭の公式、そしてそのアートを施した作家のプロフィールなどを
リンク先から見に行って、これは…と眉をひそめ。以後動向を
「間接的に」見ておりました。会期は、今月23日まで。

そのRTの中にあった、「見学者」の方はすぐに「行動」に移り、
芸術祭の事務局に意見、交渉、ブログ読者への働きかけ、
問題提起…と頭の下がる働きをされた結果、公式の方も、対応
どうにか小鳥たちの状況は改善されたようです。

ホンマによかった…
けど、この芸術祭と小鳥たちの展示は、8月からやっていたそうで、
始める前に、「鳥の」専門家の監修でも入っていれば…と悔やまれます。
もっと鳥たちにとって快適な状況で展示されたか、中止にもなった?
かも知れず。

個人的にはこれは「中止にして欲しかった」。

…というのは。
件の芸術家は、先ずそもそも「鳥かごデザイナー」ではないこと。
忌むべき「命をモノ扱い」する芸風の「芸術家」であること。
今回以外の別の会場や場面でも、小鳥や猫を「展示"物"の一部とみなした」
アート(芸術)を展開されています。

ちょっと余談になりますけど、個人的に思う、デザインと芸術の違い。

「芸術」はどっちかゆうと「自分が」気にいる物をつくる。
相手があろうがなかろうが構わん、というむきもあろうし、
喜ばれても嫌われても構わんというのもあるでしょう。
(それで儲けたければ食っていきたければ嫌われても…では苦しかろうが、
それでも猛進する、そうしないではいられない。他界してから評価される
という例もよく聞く)

その逆で、「どうすれば、受け手がよろこんでくれるだろう」、
と考えて作るのが「デザイン」。

ニワシドリという鳥のオスは、草を編んだり、花びらや
光り物を拾ってきて「東屋」的なものを作るので有名なんですが、
これも、同種のメスを誘うための「デザイン」。
たまたまそれを見つけたヒトが、「綺麗だ、いいデザインだ」と思っても、
トリはそんなの想定してないです。
(これは、勝手に受け手になった別種の生物であるヒトが、「芸術」扱い
しているパターン)

単純に言えばトリでも知っていること。
「トリでも」なんて失礼や、トリの作った「デザイン」の方がウワテ。
そこには「命をつなぐ」という輝きしかないんやから。
シンプルでピュアなもんです。

命を玩んでいい人間なんておらんし、いてはいけない。
アートにしてもデザインにしても、「命が生きる」もんでないと
いかんと思うのですよ…命をモノ扱いにしてなんの芸術か。
その手合いの「芸術家」がどのくらいか、いるそうですが。

「アートは人間のためのものじゃない」てんなら、それは、そうです。
でもその場合のアートは、既に宇宙がやっている。
地球さんがやっている。
人間がそれをいじくっても、改悪にしかならんです。
「パクリ改悪アーティスト」ですがな。
そういう意味でも、私個人の感想も、「いやな芸術」でありました。

芸術祭の鳥の展示は、会期終盤に来て、「芸術」ではなくなりました。
鳥を文字通り「生かす」ための、“鳥舎”に「改善」されました。

「芸術」としては失敗、崩壊しましたね。
ハナからやるなと。

「魂が朽ちて輝きを失う「死」しか想像できない死に芸術」
と評価させていただきます。
何度同じことをやったって、生き物を死に追いやる死に芸術には
失敗しかないよ。と申し上げます。