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950117

1_17.png
この時期前後になると、ちょくちょく書いてたことですが、
95年1月17日、地震直後のぴよよんさん(当時14歳)。
ちょっとまた書いとこうと思います。

ケージの上に、タンスの上にあった、14インチのテレビが落っこちて
直撃したんですね。
二段ベッドの上で寝てた私は一瞬青くなりましたよ・・・
「・・・ぴーちゃん?」「大丈夫か?」ってケージを覗いたら、
ほっそくなって、カゴの底に蹲ってました。
「今の何!?」みたいなカオして。
ケガしてないかとそっと手で掴み出して、うらむけてみたり
撫でてやったりしてたら、思い出したみたいに「ピリッピリッ」って
鳴き出したから、ちょっとホッとして・・・
爪で「怖かったやろーゴメンなー」ってクチバシをつんつんとしてやったら、
いつもの様に頭を三角に膨らまして、目ん玉ちっちゃくしてコーフン(発情)
しだしたもんで、縮み上がってた妹とともに、胸を撫で下ろしたもんでした。
父が朝早くに家をでるもんで、両親共すでに起きて、母はトイレに、
父は布団を押し入れに入れようとした瞬間にガンと揺れがきたらしい。
(ある意味母が一番安全地帯?にいたw)

「誰じゃ押すんは!!」ってのが父の第一声やったらしい(笑)んですが、
横の壁にズバーっとヒビが入り、激しくゴウゴウ揺れるから、押入れに
頭突っ込んだまま動けなかったとのこと。

隣の部屋で「怖いー!」と叫ぶ妹に「アブナイから動くなよ!」って
怒鳴る声が聞こえました。
私の方は、前日、強い鼻炎薬を飲んで、普段ならちょっとやそっとじゃ
目が覚めないような状態やったんで、半ばぼんやりしながら妙に冷静で、
二段ベッドの下段の妹に「1分がまんせえ!おさまるから!」と声をかけたり
しました。

タンスの上(丁度、私の枕元の高さ)のテレビが無くなってることに気付いたのは、
布団の間にあって落下をまぬがれた、メガネをかけてからでした。

インコの無事を確認出来たのでホッとしたのも束の間。

台所は割れた食器で散乱、足の踏み場も無い。
ともかくもと、一家でそれをバケツに集めて外へ出たら、方々からカッチャンカッチャン、
やっぱり割れたガラスを片づけるような音がして、ヒザ振るわしながら
「こんな地震来るやなんて・・・」とゾッとしたもんでした。
(家具類は奇しくも、揺れの方向と平行に置いてあったんで、倒れることなく済みました)

もっとオソロシクなるのは、辺りが明るくなって来て、ニュース映像が
どんどんエゲツナイ状況を流し始めてからでした。
7時半前後かにも、デカイ余震があって、思わず鳥かごもって部屋をうろうろ
したくらい、本震の時の落ち着きはどこへやら、慌てまくっておりました・・・

芸専の同窓も多数、亡くならはったり行方不明になりました。
芦屋にあった元の校舎(2年の時には、六甲アイランドに引っ越したから、
当時は同じ法人の文化センターだかで使われていたらしい)は全壊。
三宮には、学生時代、休講の時なんかに友達とぶらっと出たりしてたから、
倒壊したビルが道を塞いだりしてるの、やっぱりかなりのショックでした。

震源地から離れてて、こんなショックなんやから、現地で被災した人らのこと思うと・・・
改めて、亡くならはった方々のご冥福をお祈り致します。

あれからも、各地で震災が起こったし、今後もあると思うけど(いやですが)、
出来るだけ被害が少なくてすむことを祈りたいです。
(しかし今の政権ってコトが起こってその時に迅速に動けるんか、マジに心底心配なんやが・・・
村山政権の時と似てないか・・・?ふにゃふにゃなんやけど)


ハイチも、いちんちも早く復旧するといいんですが・・・
地震は怖い。ホンマに。
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