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主人公がフラフラしている小説

どうも、根が小心者でここ数ヶ月はちょっとしたことで
ココロが波打って、ヒドくすると何も手に付かないまま
焦燥感だけがつのり・・・という具合で大変腹の中までが
「転機」の訪れた日常に加え、忙しいのですが。

そーゆう状態になってくると無性に本が読みたくなるわけで、
書店でST11のノベライズ版を買おうとしたら品切ればかりで
(あんまぞも品切れ・・・売れてんのかな)
しょーがないので買ったまま積ん読になってた文庫を
掘り出しては寝間に読んでおりました。

これがね、ちょっと今の心理状態で読むにはキツかったw

東峰夫(おそるべく寡作な芥川賞作家)の
「オキナワの少年」:文春文庫刊。

同時収録・「島でのさようなら」「ちゅらかあぎ」は
迷える主人公の心理が今の私にちょっと似ていて、
しかしながら、「いや、私だったらこうするがなあ」とか、
「いや、いいから今は取りあえず働けってば」などと、
これがツッコミを入れずにいらんなくて疲れてしまったり
イライラしどおし(笑)

なんしか、主人公は精神的理想が高すぎるのか、
職を転々として、ついには住所不定のまま日雇い仕事を
たまにやりつつ、「小説を書くのだ、小説家になるのだ」と
いいながら、なかなか書かない(笑)、
出版社に持ち込みに行く
描写もさらにない。

どこの漫画家志望者だよ。(え

そうしてただ、図書館に寄っては哲学書だのを読みふけったり、
フラフラしていて・・・そのまま、なんとなく尻切れっぽく
話が終わってしまうもので。

さりとて、話が続いたとしても、同じ行動の繰り返ししか
想像出来ず、もぉおおおお!!
てんで、もどかしいやらなんやらでアタマに来たもんでした。

今読むんじゃなかった・・・と軽い後悔の念に襲われたりも
しちまったりして。
なんだか、共感出来そうで出来ない種類のもんでした。
否、自分と似たところも多くて、共感したくないという
同族嫌悪に近いところかも。

流石にこうは、なりたくないなあ・・・みたいな。

お次は、漱石の「彼岸過迄」を久しぶりに読み返し。
なんでよりによってソレなんだ、と我ながら思いつつ。

これも、語り役の田川敬太郎や、冒頭で彼と少し交流
していた謎の紳士・森本(いきなり失踪したりする)
敬太郎の親友・須永市蔵(新潮文庫版あらすじでは彼を
主人公と見ている)
、須永の叔父の松本恒三
(WIkiにはまだ出てないが、確か、漱石の言う「高等遊民」
という造語の初出はこのキャラのセリフから。
あと、これが発表された年、明治45年2月に出された
漱石書簡にも出てくる。「それから」の長井代助が
「高等遊民」の代表格扱い)


・・・と、出てくる人物の殆どがフラフラしている(笑)
(敬太郎は後に、実業家である須永の親戚の紹介で一応職につく)

なにしろ、アタマの中で世界が構築出来てしまい、それが
現実社会との深い溝を作って、世間にいながらにして
無人島の住人よろしく孤独である。

遠くに助けの船が見えても、
「あの船を呼んで乗せてもらえば帰れるんだろう」
と思いつつ、船の大きさとか、速さとか、乗ってるのは
何人ぐらいだ、気が合わないヤツが乗ってたらどうするか、等
腕組みして観察したり推測したりしてるうち、
船は通り過ぎて行ってしまう・・・

しかも、彼らの「内的無人島」は物資が豊富で、図書館まで
立っていたりしてw、そのままそこで快適に過ごそうと思えば、
幸か不幸かそれが出来てしまう。

そんな連中のお話。

でもって、終わりまで読んでも特になんにも片付かない
というものです(作中でもそんなことを書いて澄まし顔)。

漱石はそこら巧み(?)だから、この小説はそーゆうシロモノですよ、
ってのを、暗喩として森本が残して行った変な洋杖(ステッキ)
象徴させてるように思われます。
(まあ前書きでもことわってあるが)

「自分の様な又他人の様な、長い様な又短い様な、
 出る様な又這入る様なもの」


コレは、進退に迷った敬太郎が占い屋に見てもらったところ、
その占いばあさんに上記のようなものを持って歩けと
進言された言葉なんですが、「なんじゃそら?」と四苦八苦して
考えた敬太郎、森本から譲られた洋杖だと思い至ります。

持ち手の部分に、蛇の頭が彫ってあり
(頭だけなので、「長い様な短い様な」)、
その蛇の開いた口の中には玉が彫られている
(飲み込むんだか吐き出そうとして
いるんだかわからない=「出る様な這入る様な」)。
そして、失踪中の森本から手紙で、その洋杖を譲ると
言われたものの、ほったらかしていた
(=「自分の様な他人の様な」)。

何その謎解き(笑)みたいなハナシなんですが、この洋杖の
形状に対する形容がもう、どちらともつかず、フラフラ
しているワケです。

なにがどこにどう落ちつくか、片付くか、ハッキリしない。

・・・わーこりゃなんてワシの人生?


という関係妄想に襲われたりして、やっぱりコレも
精神衛生上あんまし良くなかったw
(敬太郎のキャラがオモシロすぎるので、こっちはさほど
イライラもしなかったが)

まあでも、内向的に内へとぐろを捲き込んだって何も、
変わりもしなけりゃ発展もないよ、と暗に示されたものとして
どちらの小説からも、受け取っておくことにしましたわ(´∀`*)

てんで、今度は趣向を変えて、こちらも買ったのさえ
忘れていたコレでも読もうかと思います。
we15.jpg
ぅわーい。
新生スタートレックの小説は入手出来んかったけど
(見つけ次第買うつもりだが)、
本棚の奥からコッチが出て来て、小躍りしたわよ。
私の好きな、「転送事故」がらみのハナシのようです。

また少々不安げなこと書いたりしましたが、
me.jpg
こんなバカやってるくらいだから、大丈夫です、きっと。



余談、「100年に一度の大不況」と言われる昨今ですが、
じゃ100年前のソレってなんだよってえと、恐らくコレなのかなと。
夏目漱石年譜
リンク先の、1908年欄に「我が国初の経済恐慌が起こる」とある。
この翌年に「それから」が連載されるんですが、この辺りから
「高等教育を受けながら、なかなか職につけない(つかない)若者」が
増え始め問題になったらしく、なるほど、今と似てるんだなと思った。

「へぇー、近頃は大学を卒業しても、ちょっくら一寸(ちょいと)
 口が見付からないもんですかねえ。
 余程不景気なんだね。尤も明治も四十何年というんだから、
 その筈には違ないが」

              (『彼岸過迄』※1912[明治45年]より)

平成はまだ21年なんすがね。

1908年の経済恐慌が尾を引いたのか、1912年発表の
『彼岸過迄』でもまだ「不景気で仕事のクチがめっからない」
ネタが出てるってのは、あれか。
平成版も、2012年くらいになってもまだこんなんなのか?^^;
状況は必ずしもみながみなまで一致してるわけでもないから
んなこたねえだろと思いたいがw


※漱石ネタが混ざるとどうしても長くなる・・・
 彼岸---についてはもう少し思うところがあるんで
 作ったまま長くほってあった(汗)「漱石ブログ」で
 追って書きます(ここで書いたのを少しいじって)。
 興味のある方はどうぞ。
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