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「ランキング」ぎらい

※2004/8/24 エキブロにて書いた記事 若干文章修正及び一部追記。

ぶっちゃけて、私は「ランキングぎらい」です。
ありとあらゆるランク付けを好かない。
コレは根が深くて、中学生の頃からのモンです。

この頃---高校受験のため塾に通っていたりした---
人間に数字でもって順番を付けることの理不尽さに、
この上ない不愉快を感じたものでした。
オトナは阿呆やないのかとすら思った(中2病・笑)。

通っていた塾の塾長(山本陽子似)が、教え方がとても
上手かったおかげで、私は当時所謂「成績優秀の優等生」でした。
それで、ガッコの先生にも、親にもなにやら変に
期待もされておりました。
でも、それがまた不快でたまらんかった。

テストの点数しか見ていやがらねえ。
(マジメを装っていたw)私の上っ面だけで判断してやがる。

それがもうもうスコブル不快で。
そやから、塾では壁の鴨居部分に「成績順」に名札を並べて塾生の
ベンキョー意欲を鼓舞させてたんやが、そこに名札をかけられるのが
たまらなくイヤで。
「ヤメテクレ」とは流石に言えんかったが。

そんな状態だったもんで、肝心の3年生の2学期
(つまり受験に臨む年)になって息切れがしてきて、
・・・やっぱ、無理してたんだなあ・・・
成績が少し下がり始め・・・成り行きで府内でも1,2を争う
メーモン私立高校を「滑り止め」で受験して、
華の玉砕を喫することになった。

したら、案の定、ガッコの先生らは手のひらを返したように
冷淡になりやがりました。
「チッ」みたいな雰囲気がアリアリと感じられた。
コッチが「ケッ」と思ったもんや。
全く、馬鹿らしい。
しかし、内心清々した開放感につつまれて欣喜雀躍でした。

以来、あらゆる「ランキング」と、それをやっている
企画者に対して非道く不信感と不快感を抱くように
なったのです。

長者番付然り、売り上げランキング然り、視聴率ランキング然り、
漫画誌のアンケート#然り。
とにかく、そーゆう並べ方が好かない。
ココから派生する、「勝ち組・負け組」という言葉も好かない。
何をもってか、そーゆう分け方をするのかと。
何が何でも「数値化」しねえとわかんねえのかよと。
勝ちとか負けとかと違うと思うんやが。

因みに、私は負けず嫌いなところはあるが、
「誰かに勝つ」のも、好かない。
だから、勝負事に面したら、「自分には、負けないようにする」
だけである。負けがちですけどね・・・(汗)
しかし、こちとら何者かと勝負する気もないのに、
他人の手で、それも自分の預かり知らぬところで、
勝手次第に「勝ち負け」決められたら、たまらない。
非常に不愉快である。
それが、自分のことでなかっても。
なんかもう、腹が立って仕方ない。

ここで、いきなりやが、虎の威を借りて、
毎度お馴染み(笑)金やん先生にご登場願うことに致しましょう。

面倒な人は、読まなくてヨロシイ。

この一文は、私にとって大変心強い。
文豪サマかて、お嫌いなんや(笑)

てより、「その理由」に大いに共感したので。
何気に言い回しが面白い(面白い・・・と思うんやけどな・・・)し、
好きです、コレ。

#
漫画誌のアンケートによる人気投票(?)は、
雑誌の業務上編集上必要事項であろうから、
好き・嫌いの問題ではなかったり。

「議会の投票抔(など)も公平だから遣ると思うのは間違である。
 ああしなければ決着が付かないから仕方なしに
 不公平な事を敢てしているのである。」
(後述:『太陽雑誌募集名家投票に就て』より)


 これに近いところのものでしょうな。


↓続き:『太陽雑誌募集名家投票に就て』
『太陽雑誌募集名家投票に就て』
(初出:明治41年5月5日・東京朝日新聞掲載)より抜粋。
改行、ルビは引用者適宜。


二三日前太陽雑誌五月号の寄贈を受けた。
見ると、同誌上にかねて募集しつつあった『名家投票』の
結果が発表になっている。
そうして、そのうち文芸家という名の下に、
余の姓名が見えた。
余は今日迄太陽雑誌の読者でなかった為め、
残念ながら此投票募集の主意を知ることが出来ないが、
一般投票と云うものに対しては常に
善くないことだと云う考を抱いている。


(中略)

投票なるものは、己れの相場を、勝手次第に、
無遠慮に、毫も自家意志の存在を認める事なしに
他人が極めて仕舞う。
多数の暴君が同盟したと同じ事である。

是を公平と云うのは、他を自分よりえらいと
認めた場合か、然らずんば、ただ投票するものの言草で、
投票されるものは、自分の主意の少しも貫徹しない点から見て、
尤も不公平な運動(ある場合には)と号して差支ない。
議会の投票抔(など)も公平だから遣ると思うのは間違である。
ああしなければ決着が付かないから仕方なしに
不公平な事を敢てしているのである。

(中略)

全体人に対して誰と誰とは何方がえらい抔と聞くのは必ず、
其道に暗い素人である。

素人は真暗だから、何でも自分に覚え安い様に、
無理無体に物の地位関係を知りたがるの結果として、
かかる単簡極まるとば口の返答を得て
満足するのである。
つまりは自分が到底知る権利のない問題

(※ココ、「知る権利」は、まああるやろうと私は思うが)
に首を出して、知ったか振りをしたがる
ので、
要するにどっちがえらいのかと活版で極めて貰わなくっては
不安心なのである。

 同じ文芸でも多種多様である。
文芸上の作物も亦多種多様である。
団子を串で貫いたように容易く上下順序が
付けられる訳のものではない。

苟(いやしく)も筆を執って文壇に衣食する以上は、
余の如きものでも、相当の自信と抱負のあるのは
勿論である。
その自信あり抱負ある点に於ては敢て何人にも
譲らぬ丈(だけ)の覚悟は自惚にもせよ有している。
けれども、(西洋の大家は暫らく云わずとして)
現代日本の諸作家たるもの、何れも同様同程度の
覚悟はある筈である。
のみならず余は実際是等の諸君の如何なる作物に接しても、
到底余の及ぶ能わざる点を認め得ない事は少ない。

してみると、我々は必竟平地の上に散点すべき人間である。
将棋の駒の様に積みかさねらるべきものではなかろう。
人の肩の上に乗るのは無礼である。
且つ危険である。
人の足をわが肩の上に載せるのは
難儀である。


かつ腹が立つ。

(※ワシ、ここが好き。「かつ 腹が立つ」・笑)

何方にしても等級階段をつけられて一直線に
並ぶべき商買とは思えない。

(後略)


以上、講談社文芸文庫『漱石人生論集』
収録のものより抜き打ち。
・・・全文、打ちこみたい位ではあるが、この辺で。
昔の文章で、若い方には特に読みづらいとも思いますし・・・
興味のある方はどっかでめっけて読まれたし。


※詳しい事情は研究書などでも探してもらうとして・・・
 掻い摘んで解説すると、冒頭にある様に、
「太陽」て雑誌で、文芸家・画家・音楽家などの
 所謂文化人を十把一絡げにして、今でも
 色んな雑誌でよくやってる「人気者ランキング」
 やらかしたんやな。
 で、漱石先生、第一位に選ばれたので、
 「太陽」の編集部が、パンパカパーンと
 本を進呈したわけです。
 そしたら、思いの外先生不快感を露わにして、
 東京朝日新聞紙面を借りて、この一文を載せなはった。
 ・・・というわけです。
 当時、「なんとまあ、へそ曲がりなオッサンやろ」
 という意見と、「流石、それでこそ漱石先生だよ」
 というヤンヤの喝采両方の反応があったそうな。

 因みにもう一つそのテの有名なエピソードに、
「文学博士号辞退事件」
 なんてのもある。
 
 補足っちゃなんやが、この一文の結びの部分はコチラ
 なんだかんだゆうて相手に対し、ものすごく気使ってて、
 かわいいです先生。

※明治・大正の頃と現在とでは、送りがなの付け方や、
 漢字の使い方が多少違います。
 ・・・というより、特にコレといって
 決まってもいなかったようで、漢字の使い方にしても、
 今よりもっと「自由自在」に「執筆者の才覚」で、
 意味が正しいものから好きなの(笑)選んで使っていたらしい。
 当て字然り。
 文章書くには、今よりももっと、漢学の知識が
 必要だったわけですね。また、それが常識でした。
 だから、一部今の感覚で読むと、「この漢字オカシイのでは」とか、
「送りがなが違うやないか」と思う向きもあるかも知れないので、
 この際一応お断りしておきやす。
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